2020年2月26日水曜日

パンデミック

日本人の情緒的部分を良い部分と取られがちだが、そんなもんは戦前の話。
近年においては実に部分的目先のみに情緒が反応する。
物事を長期的かつ包括的目線が失われて世論全体が場当たり的にブレていく。潰れる会社の典型例に近い。こうなるとそもそもトップのハンドルは方向決定の方策を失う。
その情緒的かつ部分的反応は笑ってしまうくらい爆発力を持つが故、パンデミック(メンタルでの瞬発的拡散力という意味で)が簡単にうねりとなり押し寄せる。
物の買い占めなどパンデミック以外の何者でもない。其処にはモラルもイズムも存在しない。そもそも買い占められる物自体に科学的根拠など存在しない。
先進国と言われるこの国から科学的根拠以上の盲目的何かが存在するのであれば、所謂政治イデオロギーも民主主義も意味を為さない。
そもそも民意に対極的判断が失われているからだ。
上辺の優しさ的八方美人感が全員の不満を覆い隠し結果我慢の社会と化す。
メディアは大した取材も無く政府の揚げ足を取り、胡散臭い自称専門家達が出来もしないもっともらしい対策論をドヤ顔で話す。勿論根拠などないまま。とにかく部分的目先に焦点を当て、情緒を煽りまくる。
政府はその情緒的パンデミック自体に制約を受け、対応の方法論選択肢を失い続ける。
そんな中ではよくやっている方なんだと思いたい。

メディアは自称専門家達を使いあたかも正しいことを言っている体を作るが制約が多すぎて政府は動けないことばかり。わかっとるけど可能性だけでは動けんのだよそれが科学的根拠で動く先進国の政治なんだよアホ。と言いたい人々も沢山いるに違いない。
今回の件も築地移転もエネルギー問題も全部然り。

クルーズ船内の不自由さを報道し、落ち着けば今度はなぜ封じ込めなかったかに真逆の論調だ。真逆だぞ。
これが可能なのが、いわゆる情緒的部分反応。
対局的理屈に基けばここまでぶれることはない。

何が言いたいかって、
暇なんだよおれ。
震災の時も今回も言うなればずっと、
危機をもたらすのはいつでもメディアと自称専門家。


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