2021年1月20日水曜日

陰謀

水の入ったやかんに火を加えて湯が沸く。

水の入ったやかんが必要条件

火を加えるのが充分条件。

水の入ったやかんだけでは湯は沸かない。

これが湯を沸かす必要充分条件。

簡単に見えて難しい。

人は無矛盾を求めて思考する。藁人形に呪う対象の毛を入れて釘を打つ。その者の類似物を痛めつける。この類似物に縋る事により矛盾を無矛盾化する。やかんの水と火を用意した気持ちとなる。

これが所謂陰謀論。

物質的必要充分条件を満たすが物理学的条件を満たしていない。掘り下げる必要があるが、教養が無ければその矛盾自体成立しない。

民主主義だから平和的か、それは単なる必要条件に過ぎない。そもそも仮定条件。三権分立だから相互監視が成り立つか。大統領選の不正の訴えはは全て却下された。検証すらされていない。

全ての司法は関わりたく無いと回答した。それが却下。完璧に分立している。三権分立の弊害。分立を謳う反面、検証しない事も可能。

立法府の人が事実上行政府の長となるシステム。これは三権分立に矛盾する。皆勘違いしているが、この国の憲法に三権分立は明言されていない。三権の所在のみ。


不文律という言葉は、まさにその通りで、皆まで言わすなという事。多様性の弊害。皆まで言っても解釈も正義も全てが同軸に存在しない。

だからどうでもいい校則も存在する。これは実に教育軸から見るとよく出来ている。不文律があるからこそ自由が得られると教えてくれる。自由即ちそれは幾多のルール上に縛られているという矛盾を叩き込む。

対極の人間は相手を思考上捻じ伏せるために沢山のトラップを仕掛ける。一つ一つ検証する為に無数の教養事項が必要となる。

The best is yet to come. 

あのおっさんの公人としての最後の言葉。



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